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御崎浦捕鯨納屋場跡

文化・スポーツ

市指定史跡「御崎浦捕鯨納屋場跡(みさきうらほげいなやばあと)」 Vol.3

生月島壱部浦を本拠とする益冨組は、最盛期の江戸時代後期には5つの網組を擁し、3千人もの従業員が働く、古式捕鯨業時代で最大規模の鯨組でした。生月島の北東岸にある御崎浦は、享保14年(1729)に益冨組が舘浦から漁場を移した後、明治30年代に至るまで約170年にわたり鯨組の納屋場として利用されました。

天保3年(1832)刊行の捕鯨図説『勇魚取絵詞』を見ると、当時御崎浦にあった益冨組の納屋場では、前面の波打ち際で鯨の解体が行われ、陸上には鯨の加工を行う大納屋、小納屋、骨納屋、筋納屋のほか、船や道具の修理をする前作事場関連の建物群、さらに500人もの従業員が暮らす長屋が所狭しと並んでいました。

現在それらの施設は僅かに礎石を残す程度ですが、北側斜面には、納屋場の守り神として祀られてきた岬神社の石祠が現存し、祠の屋根には、益冨組の船印と組の紋が刻まれています。現在、壱部浦の白山神社に合祀されている鯨恵比須像も、元はここに在ったと言われています。また納屋場の後背地には、他所から鯨組に働きに来ていて亡くなった人達の墓地が残り、墓碑銘には備後田島(広島県福山市)から来た網漁師の名も確認できます。御崎浦の南側にある古賀江浦は、捕鯨に用いた苧(麻)網を干す網干場として利用されました。現在も60センチほどの大きさの多角形の平石を敷き詰めた網干場の遺構が、海浜公園の中に保存されています。

納屋場

文化財詳細情報
名称 御崎浦捕鯨納屋場跡(みさきうらほげいなやばあと)
種別 市指定史跡
所在地 生月町壱部免
指定年月日 昭和46年3月29日

お問い合わせ先

文化観光商工部 文化交流課 文化遺産班

電話:0950-22-9143

FAX:0950-23-3399

(受付時間:午前8時30分~午後5時15分まで)

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