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三浦按針の墓

三浦按針の墓1

三浦按針の墓2

三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、始めて日本に来たイギリス人である。 1600年(慶長5)オランダ船リーフデ号(航海長)で豊後(大分県)に漂着し、平戸には1613年(慶長18)にやって来た。 その間徳川家康は、彼を外交顧問として、今の神奈川県横須賀市に住まわせ、250石を与え召し抱えていた。慶長年間、オランダ、イギリスが通商を許され、平戸に商館を設置するようになったのは、按針の力によるところ大であったといわれている。 後に、平戸イギリス商館長コックスのもとで活躍し、1620年(元和6)平戸で病死した。墓地は定かではないが、1954年(昭和29)三浦按針の墓を建立し、夫婦塚は、1964年(昭和39)アダムス誕生400年にあたりイギリスの妻の墓地より夫人の霊魂の象徴として小石をとりよせてアダムスの墓に合葬し夫婦塚としたものである。

所在地

〒859-5102  崎方公園内(平戸市大久保町2529) 

交通

平戸港交流広場から徒歩15分

駐車場

なし

お問い合わせ先

文化観光商工部 観光課

電話:0950-22-9140

FAX:0950-23-3399

(受付時間:午前8時30分~午後5時15分まで)

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