令和4年度 校長の講話 「修了式の講話」をアップしました
今年度、行事や集会などで校長が行った講話や式辞などを載せております。
よろしければ、ご覧ください。
五稜戦隊チューブレンジャーのリーダー「チューブチュー」も校長の講話を応援しています。
*数字が、ところどころ漢数字なのは元の原稿が縦書きのためです。
*式の時に読みやすいように、箇条書きにしています。
令和4年度 3学期始業式
目をつなぎます。皆さん、明けましておめでとうございます。(手話)お座りください。
さあ、いよいよ2023年、令和5年のスタートです。
今、お互いに「おめでとうございます。」を言いましたが、本当におめでたいですか。
この人を知っていますか。「一休宗純」。室町時代の臨済宗のお坊さんです。
子供の時はこんな感じだったみたいですね。(アニメの一休さん)
ある年のお正月、一休宗純さんが、和歌を一首お願いされました。
そこで「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
という歌を詠んだそうです。
なんとなく意味が分かるでしょうか。
門松は、年末にPTAの方々がつくってくれた立派なものが、生徒玄関に飾ってありますね。
冥土とは「あの世」、死後に行く世界とされています。
「新しい年を迎えるということは、人生の終わりに近づいているということですよ。本当におめでたいですか。」という意味でしょうか。
年末、テレビを見ていると、2022年に亡くなった方の特集があっていました。
私が、印象に残ったのは、この人です。「アントニオ猪木」さん。
「元気ですかー!」幸弘さんが物まねをやってくれますね。
猪木さんは1943年、昭和18年に神奈川県横浜市で生まれました。
生活は、苦しかったそうです。
中学生の時、貧しさから抜け出そうと家族でブラジルに渡り、コーヒー農場で、朝早くから夕方まで働きました。
ブラジルでは、砲丸投げの選手として活躍していたのを、ブラジルに遠征していたプロレスラーの力道山にスカウトされ、日本に帰国します。
1960年、一七歳でプロレスラーとしてデビューし、ジャイアント馬場さんとともに、日本のプロレスを発展させていきました。
また、プロレスラーとしてだけでなく、政治家や実業家としても活躍し、「燃える闘魂」「世界一強い猪木」などと呼ばれ、私たちの世代にとっては、まさしくヒーローでした。
ところが、2020年、アミロイドーシスという難病におかされていることをツイッターで告白し、闘病生活に入ります。
2022年9月、猪木さんは「みんなに見てもらって、弱い俺を」と、ユーチューブでありのままの姿を撮影しました。
痩せほそったその姿は、猪木さんの全盛期を知っている私たちにとっては、痛々しく、つらいものでした。
しかし「ガリガリ君アイス」を食べながら「ガリガリの猪木がガリガリ君を食べた」とダジャレをとばし、「猪木にしかできないこと」として「世界のゴミを消していく」と宣言するなど、本当の「元気とは何か」を教えてくれるものでした。
撮影の十日後、猪木さんは亡くなります。
私は「元気があれば何でもできる」と言っていた猪木さんの「責任感の強さ」をひしひしと感じました。
3学期の、中部中学校の重点校則は「責任」です。
3年生は「自分の進路を、自分で切り開く」責任。
2年生は「最高学年となり、中部中学校を担っていく覚悟を決める」責任。
1年生は「先輩となり、下級生を導いていく力量を身に付ける」責任。
新年が始まるにあたり、それぞれが決めた目標を、責任をもって全うする3学期としてください。
そして「明けまして、おめでとうございます。」と言った責任を取って「本当におめでたい。」と思える令和5年にしましょう。
それでは最後に、猪木さんが一休宗純の言葉と信じ、座右の銘としていた「道」という詩を紹介します。
この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
令和五年 一月十日 中部中学校 校長 甲斐田彰
*「道」は、猪木さんは一休宗純の言葉と思っていたのですが、哲学者の清沢哲夫さんの詩が元だといわれています。
令和4年度 2学期終業式
令和4年度 2学期始業式
目をつなぎます。皆さん、おはようございます。お座りください。
私の話の前に確認です。了解した時は「『はい』と返事をする」「うなずく」。逆に、納得できない時や分からない時は「首を横に振る」といった反応をしっかりしてください。
よろしいでしょうか。(はい)
この写真を見てください。ユリの花が咲いているのが分かりますか。(うなずく)
拡大します。8月16日、私は1週間ぶりに学校に来ました。
すると、校舎とアスファルトの間から這(は)い出てきたユリが、美しい花を咲かせていたのです。
その時に「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がおりてきました。
皆さんは「渡辺和子さん」という方を知っていますか。(首を横に振る)
北海道出身のカトリックのシスターです。
彼女はなんと36歳で、大学の学長に就任します。
大学の学長と言えば、中学の校長より・・・です。
ところが若い彼女に対する反発もあったのでしょう。大学の運営や人間関係などうまくいかず、渡辺学長も「みんなが協力してくれない」と不満ばかり言っていたそうです。
そんなときに、ある宣教師からいただいたのが「置かれた場所で咲きなさい」という言葉だったそうです。
渡辺シスターは「どんな環境であっても、自分が環境の主(あるじ)となって、自分の花を咲かせることの大切さ」に気付きます。
渡辺シスターは「自分から挨拶をし、自分からお礼を言い、自分から変わっていくと、不思議と周りの人たちも、明るく優しくなっていき、物事がいい方に動き始めましました。」と言っています。
2学期、様々な行事があります。皆さんもいろいろな「役」をもつこととなるでしょう。
なかには、「別の役がよかったのに」と不満に思う人もいるかもしれません。
その時には、この、ど根性ユリの花と「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出してください。
自分から変わることで、きっと、素敵な花を咲かせることができると思いますよ。
ところで、2学期の重点校訓は、2番目、「規律」です。
辞書によると「規律」とは「人の行為の基準」とありました。
「ぴしゃっとする」「いい加減なことをしない」ということですね。
では、規律を大切にするためには、どうすればよいでしょうか。
私は「立腰」をお勧めします。
「立腰」とは「人生二度なし」で紹介した、森信三先生が提唱した方法で、腰骨(こしぼね)を立てて、学習や生活をすることです。
皆さん、腰骨を立てて、背筋を伸ばしてください。頭がすきっとしませんか。
集中力が増し、やる気が湧いてくるでしょう。(うなずく)
今、みんなが、私を見てくれています。立腰すると自然とこうなるのです。
「話を聴くときは立腰」を心掛けてください。(はい)
きっと、「規律を大切にすること」ができるようになると思いますよ。
皆さん方、一人一人が「規律」を大切にすることで、「素敵な花を咲かせる2学期」となることを期待して、私の話を終わります。
それでは「立腰」。
令和4年(起立) 9月1日 中部中学校校長 甲斐田彰
令和4年度 1学期終業式
目をつなぎます。みなさん、おはようございます。お座りください。
1年生に質問です。本校の校訓は、何ですか。「はい」
吉田柊騎(しゅうき)さん
「自主、規律、責任の3つです。」
さすが、中学生。この校訓は、生徒玄関の前の、立派な石碑に刻まれていますね。
ところで1年生の皆さん。
入学式の時に、私が「学校生活や勉強など分からないこともあると思います。
分からないことがあったら、すぐに先生に聞き・・ません。」と言ったのを覚えていますか。
中学生は、まず「自分で考える」「自分で調べる」ことが大切なのです。
それでも分からない時は「友達や係の人に相談する」「先輩に尋ねる」
それでも、それでも分からない時に「先生に聞く」のです。
「簡単には先生に聞かない」これが「できた。」という人。すばらしい。皆さんは、
1学期の重点校訓である自主の達成に向けて「かなり大きく前進した」といえるでしょう。
ところで、これに見覚えがありますか。
職員室の前にあるこの石碑、もちろん分かりますよね。
拡大します。「人生二度なし」森信三先生の言葉です。
森先生は、一八九六年、明治二九年に、愛知県で生まれました。
京都大学を卒業後、大阪や神戸の大学で、哲学や教育学の先生として活躍しました。
「念ずれば花ひらく」の坂村真民さんとも交流をもち、互いに尊敬しあっていました。
真民さんは「人生二度なし」の言葉に感銘をうけ、詩を書きました。
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう
二度とない人生だから 一ぺんでも多く 便りをしよう 返事は必ず書くことにしよう
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて みつめてゆこう
二度とない人生だから のぼる日 しずむ日 まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの 星星の光にふれて わがこころを あらい きよめてゆこう
二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く 作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を 書きつづけてゆこう
二度とない人生を、あなたはどう生きますか。
二度とない令和4年の夏休みを、あなたはどう生きますか。
「自分で考え、主体的に生きる」すなわち自主的に生きることで
皆さんは、さらに成長できると思います。
そんな皆さんに、9月にまた出会えることを、楽しみにしています。
令和4年(起立) 7月20日 平戸市立中部中学校 校長 甲斐田彰
令和四年度 教育週間
皆さん、こんにちは。
「皆さんにとって大切なものは何ですか。」
私は、この質問を、長崎県各地の中学生にしてきました。
調査の結果、長崎市でも、西海市でも、対馬市でも、一位から四位は全部同じでした。
第一位は「お金」ではなく「命」でした。
実は、この話は、去年もしたのですが、二・三年生の皆さんは、覚えていましたか。
毎年、長崎県のすべての学校で、五月から七月にかけて「心を見つめ、命の大切さを学ぶ取組」をしています。なぜ、この時期なのかを覚えていますか。
平成十五年、皆さんが生まれる少し前のことです。
七月一日「長崎市の中学一年生の少年が、四歳の幼稚園児を誘拐し殺害する」という事件が発生しました。
さらに平成十六年、六月一日には「佐世保市の小学校六年生の少女が、同級生を殺害する」という事件が発生します。
長崎県は、全国的にみても犯罪の少ないところです。
その長崎県で、どうしてこんな悲しい出来事が、連続して起こったのでしょうか。
「加害者の少年少女、その親、だけでなく、長崎県民全員で、こんな悲しいことが起こらないように、命について考えていこう」という願いを込めて、この時期に「心を見つめる教育週間」を行っているのです。あなたは、命を大切にしていますか。
皆さんは、この写真に見覚えがありますか。拡大します。
「念ずれば花ひらく 九十六歳 坂村真民(さかむら しんみん)」と彫られています。
中部中学校の生徒玄関右側にある記念碑ですね。
この記念碑は平成十七年、坂村真民さんが九六歳のとき、中部地区の有志の方々により建てられたものです。
坂村真民さんは明治四二年に熊本県で生まれました。
八歳の時に、父親を亡くし、どん底生活を味わいますが、五人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難に立ち向かい、たくましく生きていきます。
高校卒業後は、当時、日本だった朝鮮にわたり、国語の先生になります。
戦後は、愛媛県に移り住み、国語の先生をしながら、詩の創作を行っていきます。
真民さんは「時宗を開いた一遍上人の生き方」をお手本とし、毎朝一時に起きて、近くの川でお祈りを捧げるのが、日課だったそうです。
「念ずれば花ひらく」は、真民さんが四六歳の時「片目が見えなくなり、絶望しかけたときに生まれた詩」なのだそうです。
念ずれば 花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしもいつのころからか となえるようになった
そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
真民さんは、平成十八年に九七歳で亡くなります。
そして、平成十九年、二十年、二一年、二二年に皆さんが生まれました。
まさしく、命はつながっているのですね。
真民さんの詩を、もう一つ紹介します。
「すべては光る」
光る 光る すべては 光る
光らないものは ひとつとして ない
みずから光らないものは
他から光を受けて 光る
令和四年度 入学式 式辞
二十二名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。(手話)
今、担任の先生から名前を呼ばれ、しっかりと返事をした皆さんの瞳に「今日から中学生としてがんばろう」という強い意気込みを感じました。
先生方も、先輩たちも、皆さんの入学を楽しみに待っていました。これから毎日、勉強や運動、学校行事や部活動など、一緒にがんばっていきましょう。「はい」
ところで皆さんは、中部中学校の合言葉を知っていますか。
「凡事徹底」「ぼんじてってい」と読みます。「平凡で当たり前のことを、徹底して行うことや、他の追随を許さないほどのレベルまで追求すること」という意味です。
私の後につけて言ってください。「凡事徹底」「凡事徹底」
一年生の教室へ向かう階段を上りあがったところにも、大きく掲示されていますので、毎日確認してください。
皆さんは、去年活躍した人といえば、誰を思い浮かべますか。
私は、この人です。(写真)
平戸海雄貴(ゆうき)、中部中学校出身、本名、坂口雄貴先輩、二十一歳です。
少年のころ「関取になって両親に家を贈る」という目標を立てます。
中学校時代は、二年生と三年生の時に、長崎県中総体相撲競技で優勝し、全国大会にも出場しました。
そして、中学校卒業と同時に大相撲入りし、入門から三年で幕下に昇進、去年は五場所連続で勝ち越し、十一月には、ついに十両に昇進し、第一の目標である関取となりました。
師匠である境川親方は「他の追随を許さないほど稽古をする。ブレないで相撲に打ち込む姿勢が素晴らしい。だからこそ部屋の関取衆も親方衆も、入門当初から『こいつを強くして、上にあげたい』と思っていた。」と述べています。
平戸海先輩の「ブレないで徹底して稽古する」まさに目標に向かって「凡事徹底」する姿勢が、強い体と心を育むとともに、周りの人たちを味方に巻き込み、さらに、強さに磨きがかかったのでしょう。きっと先輩は、今年も活躍してくれますよ。
皆さんも、中学生になるにあたり、それぞれに目標を立てたと思います。その目標の達成のため、平戸海先輩のように、ブレずに「凡事徹底」していってください。
さて、いよいよ中学校生活が始まります。
学校生活や勉強など分からないこともあると思います。
分からないことがあったら、すぐに先生に聞き・・「ません。」
そうなんです。中学生は、まず「自分で考える」「自分で調べる」ことが大切なのです。
それでも分からない時は「友達や係の人に相談する」「先輩に尋ねる」
それでも分からない時に「先生に聞く」
そうすることが、自主的な学びとなり、頭も心も成長していくことにつながります。
特に一学期は、校訓の一番目の「自主」を意識し、自主的に行動できる中学生を目指してください。「はい」
最後になりましたが、保護者の皆さま。お子様のご入学、心からお喜び申し上げます。希望に満ちた姿に、感慨もひとしおかと思います。
本日より、皆さまの大切なお子様を、確かにお預かりいたします。
私ども教職員一同、心を一つにして、お子様が充実した学校生活を送れるよう、努力してまいります。
今後とも、本校教育へのご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。
令和四年(起立) 四月七日 平戸市立中部中学校 校長 甲斐田彰
令和四年度 一学期始業式
目をつなぎます。皆さん、おはようございます。(手話)着席。
それではお尋ねします。
本校の校訓は何ですか。
「はい」村田依歩生さん
「自主、規律、責任です。」 すばらしい。(手話:拍手)
三つありますので、一学期は「自主」について、特に意識して行動してください。
ところで、この人を知っていますか。(写真)
「永田菊四郎先生」日本で最も大きな大学である「日本大学」の第五代総長を務めました。
永田先生は一八九五年、明治二八年に、末永さんや田中さんと同じ深川町の農家で生まれました。
子供のころは、家業の手伝いもあり、学校に行くのも、ままならなかったそうです。
しかし、自主的に学問に励み、高い学力を身に付けていきます。
そして、東京へ上り、働きながらさらに自主的に勉学に励んだ結果、日本大学法律学科に入学、特待生に選ばれ、卒業後は弁護士試験にも合格、ドイツに留学します。
ドイツでも自主的に研究を深め、帰国後は、日本大学の講師、教授、学長、そして総長となりました。諫早市にある長崎日大高校も永田先生の尽力で設立されました。
ふれあいセンターにある永田図書館は永田先生が建ててくれたものです。
永田先生の言葉に「学問とは安満岳に登って、自然薯(じねんじょ)を掘るがごとし」というのがあります。
自然薯とは自然の山芋で、太さは十センチぐらいですが、長さは一メートルにもなる細長い芋で、おいしいうえに、栄養があります。
しかし、縦に埋まっているため、折れないように掘り出すことは、たいへん根気がいります。
「あせらず、こつこつと自主的に掘り下げていくことが、自然薯を掘るうえでも、学問をするうえで、とても大切だ。」ということなのですね。
ところで皆さんは、クロームブックのGメールを、毎日チェックしていますか。
ほぼ毎日チェックしている人。(挙手)ありがとうございます。すばらしい。
この人たちのように、自分から進んで情報を得ることも、自主的な学びの第一歩です。
ぜひ、Gメールは毎日チェックしてください。「はい」
皆さんは、分からないことがあったら、すぐに先生に聞き・・・・・ません。
まずは、「自分で考える」「自分で調べる」これが大切なんですね。
それでも分からない時は「友達や係の人に相談する」「先輩に尋ねる」
それでも分からない時に「先生に聞く」
これも、自主的な学びです。
それでは、皆さんで「ません。」をお願いします。
分からないことがあったら、すぐに先生に聞き「ません。」いいですね。
明日の入学式でも、使いますので、もう一度。
分からないことがあったら、すぐに先生に聞き「ません。」はいOKです。
どうぞ、この一学期、永田菊四郎先生のように自主的な学びを目指してください。「はい」
令和四年(起立) 四月六日 目をつなぎます。(礼をする)
中部中学校
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