全国中学生人権作文コンテスト 文部科学大臣賞を受賞しました
第41回 全国中学生人権作文コンテストの発表が2月3日に行われました。
その結果、約77万件の応募の中から、
本校の3年生、川上琴心さんが文部科学大臣賞を受賞しました。
長崎県では初めての快挙です。
受賞作品とインタビューをご覧ください。
「煌太、お姉ちゃんと手をつなごう」
弟の煌太は大きな頭になで肩。そして、いつもにこにこと笑っている。弟はソトス症候群という障害がある。ソトス症候群は、出生時から頭囲や体つきが大きいし、発達の遅れなどがある。また、同じソトス症候群の人たちは、皆、同じような顔つきだ。ほとんどの場合は、突然変異で の発症といわれている。
2012年8月13日、弟は生まれた。私は祖母と家にいて、弟が無事に、元気よく生まれたと聞き、嬉しくて、嬉しくて、その夜はあまり眠られなかった。翌日、弟との対面。保育器の中で、すやすやと眠る弟を見て、「私が、お姉ちゃんですよ。」と背伸びをして手を振った。弟の体には沢山の管がついていたため、その日は抱っこができなかった。退院後、初めて弟を抱っこできる時が来た。布団の上に座り、両腕を広げてかまえ、しっかりと弟を受けとった。それから私は弟に、「私がお姉ちゃんだよ。」「これからよろしくね。」と話し掛けつづけたのを覚えている。
小学校に入学した私は、少しずつ弟の障害に気づき始めた。弟の同級生は皆言葉を覚えて話しているのに、弟は「あ」、「ん」としか言えないのを疑問に思い、母に尋ねた。すると、母は弟の障害について話してくれた。私は、最初は驚いたが、そう気にすることなく、弟と楽しい日々を送っていた。しかし、成長するにつれ、周りと弟の成長の差や、買い物に行った時の周りの目が気になるようになっていった。そして私は、徐々に弟と距離を置いて歩くようになった。本当は並んで歩きたい気持ちがあったが、周りの目が気になりなかなか勇気がでなかった。
中学1年生のある日、弟といとこと母と買い物に行った。母たちの買い物が終わるまで弟と店内を回ることになった。弟は少しずつ物事を理解できるようになっていたので私も安心していた。しかし、突然 弟が大好きなお菓子を手にとり、外に出ようとした。私は焦って弟の手からお菓子をとりあげ、弟の手を引っ張った。弟はその場に座りこみ、大泣きをして暴れ始めた。私は頭が真白になり、ただただ、弟を落ち着かせようと背中を必死でさすった。泣きわめき、暴れる弟を前に、私にできることはそれだけだった。すると、一緒に来ていたいとこが騒動に気づき、母を呼びに行ってくれたので、「これで大丈夫。」とほっと胸をなでおろした。その時だ。気づいたのは。私と弟を冷ややかに見る沢山の人の目に。入り口から入ってきて私と弟を避けるように足早に去って行く人達に。私は悲しい気持ちと自分の無力さに胸が一杯になった。そして、車にのりこんだそのとたん、涙があふれ、止めることができなかった。弟はいつもどおりいとこと手あそびをしていた。そして、母は黙ってハンドルを握っていた。
その日の夜、父に呼ばれ、話しをした。私は、お店で起こった事、その時の気持ちを伝えた。すると、黙って聞いていた父は、「いい勉強になったね。お前の弟は、その場におった子供さんや同じ2年生の子供と違うかもしれんけど、お前の弟は、この家なら大丈夫だと思ってここに生まれてきてくれたとよ。だから、『私の自慢の弟だぞ』って胸を張れ。」と言った。私は胸が熱くなった。話しを終え、弟の部屋に行くと、また自然と涙がでてきた。でも、今度の涙はあたたかい涙だった。眠っている弟の顔を見ると、弟を初めて抱っこした時の事がよみがえった。あの時、ずっと弟に掛けていた言葉。「私がお姉ちゃんだよ。あなたを守るためにお姉ちゃんがずっとそばにいてあげるからね。」私は、眠っている弟にあの時と同じ言葉をつぶやいていた。そして“一生弟を大切にしよう“と自分自身に誓った。
それからは、買い物に行く時、弟と手をしっかりつないで、話しかけながら楽しく歩く。もしも弟が暴れたら、落ち着いて母に連絡をする。すると、時には、弟を見た同級生や年配の方が優しく声を掛けてくれることもある。私と弟の周りには、冷ややかな目や足早に去っていく人ばかりではないことにも気づいた。
私は、あの日以来、弟と手をつなぐことで、人間や社会の現実の姿が見えるようになったと思う。決して、いいことばかりではない。でも、人の温もりや優しさを感じることも多くなった。そして私も弟と一緒に一歩ずつ成長していると感じる。
いつか、煌太と私はつないでいる手を離し、それぞれの生活をする時が来る。その時、煌太も、他の障害がある人も、すべての人が、安心して、胸を張って生きられる社会を、私は築いていきたいと願う。
今日も、私は、煌太と手をつなぎ、話しかけながら楽しく、しかし力強く歩いていく。
インタビュー
校長 文部科学大臣賞の受賞おめでとうございまました。
琴心 ありがとうございます。
校長 まず最初に、受賞の知らせを聞いた時の気持ちを教えてください。
琴心 受賞は父から聞いたのですが、何が起こっているのか分かりませんでした。
頭の中が真っ白になりました。
母は涙目になっていました。
正直言って今でも実感がわきません。
ただ、受賞したこともうれしいのですが、弟のことを多くの人に知ってもらえたことが、
もっとうれしかったです。
校長 煌太さんのことを人権作文に書こうと思ったきっかけは何ですか。
琴心 中学1年生の時、校内弁論大会で弟のことを話しました。
そのあと、先輩から励ましの言葉をもらったり、同級生が弟が学校に来た時に優しく接して
くれたりするのを見て、もっと多くの方に弟のことを知ってもらいたいと思ったからです。
校長 作文に出てくる煌太さんが座り込んでしまった店は、どこのお店だったんですか。
琴心 平戸市内のドラッグストアーです。
あの出来事があってから、そのお店にはいきたくなかったのですが、弁論大会の後「もう一
回行ってみよう」と思い、行ってみたらちょうど同級生がいて優しく話しかけてくれました。
またデイサービス帰りらしい年配の人たちも優しく声を掛けてくれました。
前に来たときは、周りの人に「冷ややかに見られた」と思ったのですが、周りの人たちもど
うすればいいか分からずに戸惑っていただけかもしれません。
家の近くのスーパーでも、優しく声を掛けられることがあります。
数か月前、佐世保の大型家具店に行ったとき、若い米軍の兵士がソファーに座って談笑して
いました。
私は、少し緊張して、煌太の手をしっかり握ったのですが、煌太は私の手を振りほどいて兵
士たちの方へかけていったのです。
そしたら、兵士の一人が手を広げて煌太を受け止め、ハグしてくれたり、ハイタッチしてく
れたりして、煌太は大喜びでした。
私は、煌太に大切なことを教えてもらった気がしました。
校長 人権を大切にするとはどういうことだと思いますか。
琴心 障害があるからとか外国人だからとかではなく、みんなが自分らしく生きることが重要だと
思います。
そのためにも「優しい目」で見ることや「支え合う空間」をつくることが大切だと思います。
また、人権は人が生まれながらにもっている権利なので、思いやりや優しさにたよるのでは
なく、正しく理解し、尊重することを忘れてはならないと思います。
校長 琴心さんは、ダンスも得意で、リズムダンスでもリーダーとして活躍しましたが、ダンスに
ついての思いを語ってください。
琴心 私は、幼いころから人見知りが激しくて、いつも端っこにいました。
そんな自分を変えたいと思い、小学4年生の時にダンスを始めました。
するとだんだん自分に自信が持てるようになり、自分から友達に話しかけることもできるよ
うになりました。
そして、今回リズムダンスにクラス全員で挑戦しました。
最初は、お互いに遠慮して、いいことやほめることしか言えなかったけど、練習を重ねるに
つれて、よくないところも指摘し合えるようになりました。
クラスメイトが本当の友達になり、学級がチームになれた気がします。
みんなで考え、みんなと笑顔で踊れて、全国3位になれて、自分自身もクラスのみんなも、
この経験を通して成長できたと思います。
ダンスは平和な世界をつくるものだと思います。
校長 最後に将来について教えてください。
琴心 私は子供が好きなので、保育士の資格を取りたいと思います。将来は保育園や支援施設など
で子供に関わっていく仕事をしたいと考えています。
校長 すばらしいですね。
丁寧に答えてくれてありがとうございました。
琴心 こちらこそありがとうございました。
中部中学校
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